エッセイ集『一切なりゆき:樹木希林のことば』から。
昨年9月に亡くなった樹木希林さん。がんで蝕まれながらも、自然体な生き方で多くの共感を呼んだ平成の名優は数多くの珠玉の言葉を残した。
彼女はこう続ける。「私は物を消費することに真実はないと思っていますからね。(中略)たとえば事件に巻き込まれてダメになった人というと言葉はおかしいけれども、一回ある意味の底辺を見たというのかな。そういう人は痛みを知っているんですね。だから、いろんな話ができると同時にまたそこから変化できるんです」
「つまづいたって/いいじゃないか/にんげんだもの」これは詩人で書家の相田みつをさんの言葉。あまりに有名なこの一節、ダメ人間の私がこんな言葉を聞くと舞い上がってしまいそうだ。失敗そのものを肯定する言葉も時には必要かもしれない。しかし、樹木さんの言葉は違う。失敗した人間の、人の痛みを知ることのできる点に価値を見出しているのだ。
私は人生で数々の大失敗を重ねてきた。自分の失敗を人の痛みを知るための糧として昇華できているかどうかと聞かれると自信がない。失敗は自分が変化するチャンスであり、人の痛みを知るチャンスでもある。数々の失敗を重ねてきた私も、失敗したままの自分が肯定されていると考えるのは今日で辞めたい。あくまで、失敗が成長の糧になってはじめて価値を持つのだから。
独自の魅力を放ちつつ、親しみやすさも兼ね備えていた樹木希林さん。これまで、彼女の言葉で救われた人も少なくないだろう。しかし、彼女の口から数々飛び出した無二な言葉の数々も、もう聞くことができなくなってしまった。