(マスターピース)『この世の喜びよ』 井戸川射子〈著〉

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 2023年1月19日、東京の帝国ホテルにて記者会見が行われた。第168回芥川賞、直木賞受賞者の記者会見。喜びを語った一人、井戸川射子さん(35)は関西学院大学社会学部の卒業生だ。小説「この世の喜びよ」で芥川賞を受賞した。

 作品の舞台は何の変哲もないショッピングモール。主人公は喪服売り場で働く女性だ。教師1年目の長女と大学生の次女を持つ。ちょうど、大学生である私たちの両親と年が近いのかもしれない。売り場を軽く周って接客し、休憩時間には夕飯の献立を考え買い出しに行く平凡な日々を送っていた。

 主人公はかねてより夕方から長時間フードコートにいる中学生の少女が気になっていた。少女は家庭の悩みを抱えており、彼女との交流や娘の家出など非日常が起こり始める。読者の私たちはそんな中での彼女の心情を覗いていく。

 少女と友人のように話し、娘たちが楽しく会話する様子を眺めているうちに、主人公は自身が子育てや家事など自分以外を生活の主軸に置いていたこと。「母」としての生活の中で、新しいものを知ろうとする意欲が薄れていったことに気付く。

 そしてある日、主人公のお節介な発言がきっかけで少女と口論になり、関係に溝が生まれたことに後悔する。「また彼女と話したい」という思いの中で彼女の人生の主人公は彼女自身へと戻っていくのだと読者に思わせ、物語の幕は下りる。

 「子供たちを私が見守っているように、私も誰かに見守られていたらいいのにな」
井戸川さんが記者会見で語った言葉だ。作中では基本的に「あなた」、二人称の目線で描かれている。著者の実生活の中での願望が作品に反映されたからこそ、物語の中で主人公が母になる前は「私」、現在は「あなた」、少女の前では「穂賀さん」になっているのかもしれない。

 この物語を読む上で、ただあなたの日常を振り返りながら読んでみてほしい。そして、実現できそうならば「母」と、他の誰かの日常と、自分の日常を比較しながら考える時間を設けるきっかけにしてはいかがだろうか。(西本明日華)

芥川賞、直木賞特集ブースの様子=2023年3月8日、関西学院大学生協KGフォーラム店書籍コーナー、西本明日華撮影
書籍「この世の喜びよ」=2023年3月8日、西本明日華撮影

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