(マスターピース)映画「愛がなんだ」 名前のない関係性を切り取った名作

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 この世界は「夫婦」や「恋人」といった枠からこぼれ落ちた、他人から認められない関係性であふれている。だが、世の中の多くの映画やドラマなどは「恋人」や「夫婦」といった名前のある関係性に焦点を当て、恋愛を美しいものとして描く。名前のない関係性はその影に隠れ、脚光を浴びることはない。

 「愛がなんだ」は、そんな名前のない関係性にスポットを当てた純愛映画だ。思い通りに進まない恋愛を軸に現れる登場人物の弱さや醜さ、葛藤などの人間的な部分を鮮明に描いている。映画の魅力ともいえる登場人物それぞれの自然で深い台詞は、映画のリアルな世界観をより際立たせている。

 「どうしてだろう。私はいまだにタナカマモルの恋人ではない」。映画の冒頭で、さえない男・マモルへの超絶な片思いを貫く主人公・テルコが嘆く台詞だ。どんなことよりもマモルを優先するテルコは、仕事も放り出してマモルの呼び出しに駆けつける。求められるままに身体を重ねるが、用が済むと夜中にひとり放り出されてしまう。そんなテルコからあふれる「どうしてだろう」は劇中で絶妙な切なさを醸し出す。上手くいかない辛さやもどかしさ、辛さ、すべてを含んだ「どうしてだろう」はそれ故に私たちの心を捉え、共感させてしまうのだろう。

 「幸せになりたいっすね」。テルコの親友・葉子に振り回される後輩・ナカハラが、泣きそうな顔で笑いながら発する言葉だ。葉子に軒並みならぬ想いを寄せるナカハラは、見返りを求めず一方的に葉子を想い続ける。しかし次第に、永遠に報われない自分の立場に疑問を覚え、葛藤する。幸せになれないと知りながら、想いを断ち切ることができないナカハラの「幸せになりたい」は切実に、私たちの心に迫る。

 「どうしてだろう。私はいまだにタナカマモルではない」。テルコの嘆きと共に映画は幕を閉じる。愛はいつの間にか執着へと姿を変え、もはや本人でさえもその正体が何かはわからない。けれど、そういった人間らしさこそが恋愛なのではないだろうか。恋愛は勝ち負けではなく、愛を深めるものだ。自分の信じる幸せを貫き、突き進もう。きっと、愛に正解なんてないのだから。

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