学びの原点は読書だった。「分かるものを読むのは読書ではなく、分からないものを読むのが読書だ」。大学2年の頃、ある教授に言われた。
学生の時は大学の図書館でフランスの文学作品を片っ端から読んだ。日本でフランスの文学や哲学が注目され活気がある時代だった。フランス文学は、文体の力強さや内容、物語の強度が日本の文学とは全く違った。
中でも感銘を受けたのが、フランスの小説家、批評家として知られるモーリス・ブランショ。「(ブランショの小説は)読んでいて全く色彩が思い浮かばない。白夜のような、眠れない夜のような印象を受け、引かれた」と当時を思い起こす。原文で読むためにフランス語を勉強し、大学院まで進んだ。同時代に活躍し、ブランショに影響を与えたフランスの哲学者、レヴィナスとの関連を研究し、博士論文にまとめた。
法学部の教員になったことは偶然だった。法学部には、ブランショやレヴィナスはもちろん、専門的に研究してきたフランス文学を知らない学生ばかり。授業では、その時のニュースに絡めて、社会が直面している問題を面白く、分かりやすく解説し、議論することもある。
最近は新型コロナウイルスの影響もあり、コレラやペストなど感染症、疫病に関する本を10冊以上読んだ。中でもカナダの歴史学者ウィリアム・ハーディー・マクニールの『疫病と世界史』が印象的だった。「免疫を持っているかどうかが国の存亡を分けた。4年生のゼミで話すと、みんな興味を持って聞いていた」と目を細めた。
ゼミでは文化共生論を扱っている。共同体が生まれるとき、その内側の人のイメージがどれほど共同体に影響を与えるのか、日本人は自らをどう捉えているのかなどを研究する。最終的には、2年間共に学んだゼミ生らが自らの日本人のイメージを述べ、議論する。「同じことを勉強してきても違う答えが出る。議論し、時には正すべきものもある」と真剣な眼差しで語った。 (難波千聖)