黒原選手へのインタビューの様子=2024年11月10日、広島東洋カープ大野寮、川田恵里花撮影
―「大学時代」―
「(関学大は)いい大学だと思ったし、勉強もレベルが高く、自分の学力と照らし合わせながら考えて決めた」と入学のきっかけを語った。また高校時代の先輩の影響や関西学生野球連盟のレベルの高さから厳しい環境で揉まれながら成長したいというのも理由の一つだったそうだ。 入学後は部活動と学業を両立しながら単位を取得するのに苦労したと語った。「暗記系は得意だったが、データ系の授業は考えてもわからなかった」と苦笑いで答えた。
学生時代のお気に入りのお店は洋食屋のイル・レ・ディ・ラーナだ。西宮上ケ原キャンパスのすぐそばに店を構えていたが、現在は閉店している。黒原選手は「一番お世話になったお店。練習終わりに投手の仲間と一緒に行っていた」と話した。
黒原選手は体育会硬式野球部に4年間所属し、4年春にはエースとしてチームのリーグ優勝に貢献した。また自身もMVPとベストナインを受賞した。その後多くの実績が評価され、2021年のドラフトで広島から1位指名された。大学時代の監督であった本荘雅章監督(53)は「元々、プロへの思いがあって黙々と練習に取り組む真面目な学生だった」と語る。黒原選手も「自分の目標に向かってきっちり取り組むことができた」と力強く答えた。黒原選手は当時の一番の恩師は本荘監督だと語る。「(本荘監督には)すごくよくしてもらった。いろいろ迷惑をかけたし、わがままを言った」と当時を振り返った。
(久保田創士)
黒原選手の「現在」については3月中旬頃発行予定の関西学院大学新聞第866号にて掲載
本荘監督へのインタビュー
黒原選手はどのような選手だったか?
入学した時から力のある選手で、自分で黙々と練習に取り組む真面目な選手でした。
―黒原選手の人柄について―
話すのは得意ではなくて寡黙なタイプでしたが、すごく後輩から慕われていました。後輩からすると、憧れであり信頼できる先輩だったのだと思います。
―印象に残る黒原選手との出来事―
2つ挙げさせてもらうとすれば、まず、1年生の時から少し責任を負わせすぎたというか、投げさせすぎたというか。いつも厳しい場面で頑張ってもらって、彼にはすごく負担をかけたという、申し訳ない気持ちがありました。もう1つは、彼が最上級生になるタイミングで「勝てる投手になろう」と話し、そのためには何が必要なのかを一緒に考えました。それまでは良い投手だったけどなかなか勝ち切れなくて。それ(勝てる投手になる事)を4年生になって春にリーグ優勝と個人としてもMVPをとって実現してくれたことが印象に残っています。
―ドラフト1位指名時の監督の心境―
ドラフト会議の1位指名が11球団決まって、1巡目はないかと諦めかけたところで指名をいただけて。本当に言葉にならないくらいの喜びでした。
―現在の黒原選手に関して―
3年かけてしっかりステップアップしていって、彼らしいなという印象です。プロという厳しい世界の中で着実に力をつけて、3年目に花開いて結果を残したのは本当に素晴らしいと思います。年末に会うたびに成長を感じていましたが、特に昨年末は変化を感じて〝大人になったな〟と言いました。いろいろ経験したり、決意するところがあったり、彼の中でも何か感じるところはあったと思います。
―現在の黒原選手と硬式野球部のつながり―
いつもすごく気にかけてくれて、(硬式野球部が)優勝した時はメッセージをくれたし、いろいろな道具を寄付してくれました。本当にありがたいです。彼も母校で成長できたとか、いい思い出があるからこそ、そうやって気にかけてくれるのだと思うので、そういう関係になってくれたのがすごくうれしいです。