渡壁晃さん=2026年2月17日、京都大学吉田キャンパス、山須田優撮影
現在、独立行政法人日本学術振興会特別研究員PDとして、京都大学大学院教育学研究科に所属する渡壁晃さん。「普段生きている社会がどのようにできているのかを知りたい」という思いで原爆や戦争を研究している。専門は歴史社会学・計量社会学である。被爆者や戦争体験者が語る戦争や原爆ではなく、社会が語る戦争や原爆に着目する。
渡壁さんが社会学に関心を抱いた原点は、中高一貫校時代の教師との出会いにある。中学3年生時、社会学の博士号を持つ担任の先生から強い影響を受けた。「話がとにかく面白かった。この先生がやっていることをやってみたいと思った」と振り返る。
進学先に選んだのは、関西学院大学社会学部。2014年に入学した。当時は専攻が細かく分かれておらず、ひとつの学部として横断的に学べる枠組みだった。そのため、「いろいろなことをやりたい」という自分の性格に合っていると感じた。中学時代の担任が「社会学をやるなら関学だ」と話していたという風の便りも背中を押した。
「学部時代はとにかくたくさん授業を履修した」と強調する。4年間で修得した単位数は220単位を超える。卒業論文を執筆する際、周囲の学生が本や体験を出発点にする中で、自分が大学の中で一番得たものは何かを問い直した。その答えは「授業」だった。そして、100科目を超える授業の中で最も面白かったのが、今井信雄教授による「記憶の社会学」だった。
また、具体的な研究テーマは原爆だった。きっかけは3年生の夏に参加した集中講義「平和学特別演習『ヒロシマ』」である。広島で出会った人々が平和について真剣に語る姿が印象に残った。「ヒロシマを読み解くことで、戦後日本社会が大事にしてきた平和という価値がよくわかるのではないか」。そんな直感があった。
そして、被爆者の体験がどうだったかというよりも、戦後の社会が原爆をどう考えてきたのかに関心を持った。卒業論文『広島はヒロシマにどのように向き合ってきたのか―ヒロシマに関する行事と「生者—死者」の関係性について』は、社会学部優秀論文賞(安田賞)を受賞した。
「記憶の社会学」から現在の研究まで一貫しているのは、「それぞれの時代の『社会の空気』を知りたい」という思いである。被爆者や戦争体験者の語りそのものよりも、戦後の社会の動き、また自分たちの社会が今後どうなるのかに関心がある。そのため、新聞などの多量のテキストを計量的に分析する手法をとる。
渡壁さんは、自身の研究を「社会意識論」に位置づける。意識されていないが社会現象として現れるものを捉えようとする立場だ。
被爆者自身の経験に関する研究は多くあるが、それらは「話そう」と意識されているものである。しかし、人々が意識的に話す内容だけでなく、その背後にある意識されていない状況や背景も捉えないと、社会全体を高い解像度で理解できないという。
現在の問題意識は、原爆や戦争をめぐる議論が二項対立へと単純化されてしまうことにある。記憶の継承か、歴史修正主義か。核兵器禁止条約に批准すべきか、核武装か。リベラルか保守か。対立しているように見えるこれらの立場は、最終的には目先の政策判断に焦点化され、議論が深まらず、対話の可能性が閉ざされるという点で、根本的には同じだという。
「こうすべき、という結論が出るのが早すぎる。論理の積み重ねよりも、結論が先にある議論も多い」。議論の過程をしっかり検証することが重要であると指摘する。
現在は終戦記念日報道に関する国際比較研究に取り組んでいる。8月6日の広島の原爆記念日、9日の長崎の原爆記念日、15日の終戦記念日には、戦争に関する報道が集中する。これまで広島と長崎の原爆を研究してきた渡壁さんは、次のピースとして終戦記念日に着目し、研究の射程を広げる。
「制服が嫌いだ」と語り、実力主義で自由な世界のほうが生き生きできる、と研究の道を選択した渡壁さん。制服は一つの例に過ぎないが、決められた枠で何かをすることが苦手だという。
学生に向けて、少しでも興味のあることは遠慮せずにしてほしい、できることなら助けてもらえる大人にはどんどん頼ったほうがいいとメッセージを送った。「どこかで限界までやってみることは、その後の人生をつくる」と説いた。
また、「納得できなくてもいい。ただ、『なぜこの人はこれを言っているのか』と立ち止まって考えてほしい。自分の社会学者としての役割は、そうした議論のきっかけを提供することだ」と力を込めた。
語られるものを深く知ることで、語られないものにより迫ることができる。社会が語るものを徹底的に読み解くことで、語られないものがより鮮明に浮かび上がる。みえるものとみえないものの対話を積み重ねることで明らかになるものがある。
(山須田優)
