地元への熱い思いを胸に議員として社会奉仕を  鷹野伸さん

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鷹野伸さん=酒井隼平撮影

西宮市の市議会議員を務める鷹野伸さんを取材した。そのインタビューの一部を紹介する。

「学生時代」

 鷹野さんは関西学院高等部の自由な校風に憧れて入学を決意。部活動では吹奏楽部に所属した。高等部を卒業後は関西学院大学法学部に入学。論理的思考力を鍛えるために法学部を選んだ。好きだった授業は、地域の特性や成り立ちを学ぶ社会地理学。

鷹野さんは高等部時代のように吹奏楽を続けたかったが大学の部活動は所属すると忙しくなってしまい他の活動も行いたかったため部活動には入らなかった。

それでも吹奏楽を続けたかった鷹野さんは同じ気持ちの仲間ともに吹奏楽団「甲東ヌーヴェルヴァーグ・ウインドオーケストラ」を設立し初代代表を務める。楽しく本気で音楽に向き合うことを意識した。設立当初は多くのメンバーが集まったものの、明確な目標を示すことができず次第に辞めていく人も多かった。しかし地道な努力の成果で鷹野さんが3年生の時兵庫県のコンクールで金賞を獲得。今では百名規模の楽団に発展し、関西大会でも金賞を獲得している。

鷹野さんは吹奏楽団の設立から初代代表までを3年間務めあげ、人の動かし方から組織の動かし方を学んだ。大学時代は議員の手伝いや塾でのアルバイトも行い、毎日忙しい生活を送った。

―「政治家への道」―

 鷹野さんは中学生の時から政治家を志していた。しかし大学を卒業後は阪急不動産に就職。政治家になる前に企業で働き、社会人の経験をしたいという思いと、地元関西の街づくりに携われる仕事をしたいという思いがあったからだ。6年間働いたのち退職。政治家への道を歩み始めた。

 中学生の時に若い政治家の街頭演説に魅了されたことと、「誰かのために使命をもって生きていきたい」という思いがあったため政治家を目指した。政党の考え方にとらわれず地域のために活動したいという想いから、無所属で立候補。当初は無謀な挑戦と笑われることも多かったが、半年間で60万枚チラシを配るなど、努力を続けた結果初当選を果たした。4年後には2期目の当選を果たした。

鷹野さんは、実際に市民の声を聞き、行動することを大事にして議員の職務にあたっている。政策が実現したり市民から喜びの声を聞いたりする時にやりがいを感じるという。将来は、政策の実現力が高い政治家を目指している。

―「メッセージ」―

関西学院大学の学生に向けて鷹野さんは、「大学の校訓であるMastery for Serviceを大切にしてほしい。学生時代に社会奉仕を行うことも大事だが、最も重要なのは将来社会に貢献できるよう自分を鍛えること。具体的な目標がなくても部活、勉強、バイトなど、行動していろいろ経験してほしい」と熱い眼差しで語った。

(酒井隼平)

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