(教授の背中)畜産の学びを世界に 鍋田肇教授

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 鍋田肇(なべた・はじめ)教授は、国際協力機構(JICA)から本学国際教育・協力センター(CIEC)に特別任期制教授として出向している。国際情報分析やグローバルゼミAといった国際情勢に特化した授業を受け持ち、将来国際的に活躍する学生の育成に努めている。また、CIECが開講するマレーシアフィールドワークを引率したり、国際ボランティアの派遣生を指導したりと、近い距離で学生の海外での活動に携わっている。

 鍋田教授は魚を食べることが好きだったことから、大学受験の時は水産が学べるコースを志望していた。しかし、第二志望の畜産を学ぶこととなった。「自分は労働者階級だから、農民と協同しなくてはならない」という階級意識を持っており、大学卒業後は農業協同組合に就職した。しかし、たった一年で辞表を提出し、その後も自分の感覚の赴くままに転職を繰り返した。

 鍋田教授は、バングラデシュで技術援助を行なった経験が自分を大きく変化させたと振り返る。「当時世界で一番危険な国だと言われていたバングラデシュに身を置くことで、自分の可能性を確かめようと考えたのがきっかけだった。しかし、与えられた仕事に一生懸命取り組む現地の人々を見て、日本で抱いていた印象が覆された。彼らとの出会いが、私の働くという価値観を変えた。人生なめらたあかんと強く感じた」と振り返った。

 現在はJICAの職員として世界を飛び回る鍋田教授だが、柴犬の生き方に憧れているという。鍋田教授にとって柴犬は、くよくよせず、人生を楽しんでいるように見えるそうだ。

 鍋田教授は本学の学生に対し「関学生と関わることは、日々新たな学びがありとても面白い。しかし、こんなに面白い彼らは、自分自身のことを不十分だと思い込んでいる。正解ばかりを探すのではなく、自分が思うままに突き進み、間違いを面白いと感じてみてはどうか」とエールを送った。

 最初は本意ではなかった畜産。しかし、これを「失敗」と捉えず、巡り合った数々の経験に面白さを見出して、自分の答えを導き出す。「失敗したら成功、失敗しなかったら失敗」という精神を鍋田教授は体現している。

 今年の8月末日をもって本学を去る鍋田教授は、最後に学生に対し「人生は生きる価値がある。『朝に道を聞かば、夕べに死するとも可なり』ということわざのように、仕事と遊びのメリハリをつけて、自分の人生を謳歌してほしい」と力強いメッセージを送った。

◆鍋田肇教授の経歴

  • 1983年 京都大学農学部卒業後、農協職員となるも酒癖悪く9月に酔って札幌へ流れて辞表提出
  • 1983年 札幌で暫く行商をした後、ニート生活(ストーブ無く下宿は零下)
  • 1984年 京都で古紙回収業、先斗町歌舞練場の衣装部手伝い、軽トラック運転手
  • 1985年 バングラデシュの農業協同組合で技術職員(畜産、2年間)
  • 1988年 京都大学農学研究科熱帯農学専攻修士課程(反芻動物の栄養生理)(翌年に結婚)
  • 1990年 日本農薬株式会社・中央研究所で研究員(農薬・医薬の研究開発)(同年に長男誕生)
  • 1994年 国連国際農業開発基金(IFAD/ローマ)で見習い職員(畜産、2年間)(2年後に無職)
  • 1996年 国際協力機構(JICA)に転職(農業関連部局等で南アジア等を担当)
  • 2000年〜2003年 バングラデシュに駐在(3年)(その後は大阪転勤)
  • 2007年〜2010年 パキスタンに駐在(3年)(その後は東京へ転勤しアフリカ担当)
  • 2012年〜2014年 鳥取大学乾燥地研究センター(ALRC)に出向(2.5年)(その後は東京転勤)
  • 2017年〜現在 関西学院大学国際教育・協力センター(CIEC)に出向
「目指す存在は『柴犬』」と語る鍋田肇教授

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