
村上三郎氏の作品「作品」=関西学院大学博物館収蔵
具体美術協会は、1954年に故吉原のもとに、阪神間在住の若い芸術家たちが集まり、芦屋市で設立された芸術集団だ。
具体美術協会という名は「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という理念に由来する。結成メンバーは17人で最終的には約60人が参加し、1972年の吉原の急死を機に解散するまで18年間活動した。
具体美術協会作家には4人の関西学院大学出身者がいる。故吉原治良、故村上三郎、故嶋本昭三、故吉原だ。
関学大の卒業生である半田まゆみさん(62)は故嶋本昭三に弟子入りし、27年間制作過程における通訳や絵画制作の助手として活動した。半田さんは具体美術協会の特徴を三点挙げた。
一つ目は、絵を描くアクションを重視した芸術を表現したことだ。アクションを重視することで絵画に時間性を取り入れた。
二つ目は、1955年から機関紙「具体」を継続的に発行したことだ。1965年までに12冊発行した。
三つ目は、芦屋公園や松浜公園、梅田産経ホールなど公園や舞台、空中を使う展覧会を開催したことだ。
このような斬新で実験的な活動は、1957年に来日したフランスの芸術評論家ミッシェル・タピエにより海外に紹介された。
そして1998年には「Out of Actions」という展覧会で具体美術協会の嶋本昭三が世界4大アーティストの一人に選出された。
日本の美術として世界的に評価された「具体美術協会」。1972年の解散後も具体の自由な精神をもとに創られた作品は海外に影響を与えていく。
(久保田創士)


















