場所を、美しさを自由に書いていく 作家井戸川射子さん

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 執筆時、最初に決めるのは「場所」。どうすればその場所を最も正しく表現できるのか考える。第168回芥川龍之介賞を受賞した「この世の喜びよ」は子育て中によく通ったショッピングモールという場所を書こうという思いから生まれた作品だった。

 関西学院大学社会学部卒業の井戸川射子さん(35)は詩人、小説家として活躍している。そして、今年3月末までは国語教師として高校に勤めており、芥川賞を始めとした数々の賞はその傍らでの獲得だった。

 初めての創作活動は詩を書くことだった。教師生活5年目の時、教え方に頭を悩ませたのが詩の授業。現状打破のためにとりあえず自分で詩を作ってみることにした。完成したものを思潮社が発行する現代詩雑誌「現代詩手帖」に投稿すると、新人作品欄に掲載されていた。

 詩に深く関わるうちに言葉の美しさ、自由さに引かれていった。一方で作品の内容に対して「全部実体験なのか」という声に困惑した。井戸川さんの作品では現実世界を舞台にしていることが多いが、実体験を書いているわけではない。

 しかし「読者に実体験と思われるかもしれない」という不自由さが自分を縛るのではないかと感じ始めた。「小説なら現実世界を舞台にした作品にしてもフィクション性が強まるのかもしれない」。これが小説家としての始まりだった。

 受賞後印象的だったのは生徒たちの反応だった。作家であることを生徒たちには告げておらず、受賞後初めての授業で伝えようとすると生徒たちから先に拍手が起こった。

 驚いて話を聞くと、夏休みに歴代の受賞作のポップを作成する課題を出したことがきっかけで、生徒たちは今年の芥川賞にも興味を持ち、気付いたと話した。井戸川さんはこの事実に一層喜びを感じた。

 作家井戸川射子を生んだ教師という道。きっかけは親が教師をしていたことだった。関学大への進学も卒業生だった両親の影響だ。しかし、選んだ学部は国語とは離れた社会学部だった。教師を目指す動機と学部選択には祖父の死が関係している。

 祖父を亡くなるまで支えてくれた福祉に携わる人たちの姿を見て福祉の大切さに気付いた。教師を目指しつつも自身の可能性を広げるという意味も込めて社会学部社会福祉学科 (現在の人間福祉学部社会福祉学科) を選択した。国語教師の教員免許も並行して取得するため文学部の講義も受けた。

 そして、教員採用試験の際に話したという志望理由。祖父が亡くなった後、残ったのは遺骨と目には見えない思い出。「これだけしか残らないなら思い出をたくさん残したい。教師になり、生徒が自分を覚えていなくても、自分の記憶の中にたくさんの生徒との思い出を残したい」。この思いが教師にとどまらず、作家としての井戸川さんのことも形作っているのかもしれない。

 井戸川射子の作品は、ノンフィクション作品ではない。しかし、旅好きな彼女が過ごしたゲストハウス、目を奪われた淀川の景色、彼女の目や頭を通ったものが描かれる。魅せられた「場所」を、その美しさを自由な言葉でつづっていく。(西本明日華)

井戸川射子さん=嶋田礼奈撮影

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