
久保昭博『表象の傷』人文書院=本人提供
徹底した反芸術運動であるダダイズムと人の無意識を表現する芸術運動であるシュールレアリスム。両者は第一次大戦の混乱から生まれた虚無感を起点にし、既存の芸術からの脱却を目指した運動である。
そのようなWWⅠと切っても切り離せない前衛芸術を、歴史側から外観したものが『表象の傷 第一世界大戦から見るフランス文学史』だ。
著者の久保昭博関西学院大学文学部教授は、ダダイズムとシュールレアリスムを擁する前衛芸術を研究している。
本著では、WWⅠ前後のムーブメントとそれに連動した芸術の流行について解説している。
その中でも、この記事で取り上げるのは「戦間期」の芸術だ。戦間期とは、WWⅠが終わり、WWⅡが始まる間のことだ。この時代、民衆は次の戦争が始まることを薄々勘付いていた。情勢がWWⅡに傾いていく中で人々は「第一次世界大戦とは一体何だったのか?」と向かい合う時間が必要だった。
そのような時代に現れたのが哲学者であり、小説家でもあるブリス・パランだ。WWⅠの中で、言葉の価値は地に落ちた。法律や政治の基盤となる言語は、かつては社会の根源的な存在だった。しかし戦時中、ジャーナルはプロパガンダを報じ、言葉は政治的に誤って使われた。戦争を体験した者は、自分の体験を言葉にした瞬間、それが違うものになるような感覚を持った。
パランはそのような言語不信の中で「言葉とどう向き合えばいいのか」という問いを投げかけた。そのパランの問いかけは、後世のあらゆる作家に影響を与えている。
久保教授は、WWⅠと現代の芸術の関連について「状況が違いすぎて、比べられない。」と語った。しかし、その上で「文脈が違えど、言語に対する信頼が低下している点だけは同じかもしれない」と続けた。
圧倒的な死の存在により、言語の実存が脅かされた戦間期。そして、フェイクが溢れ、何がファクトなのか判別不可能な現代。パランの「言葉は信じられないが、社会で生きていくためには必要なものだ。なら、我々はどうすればいい?」という問いを、考えてみてもよいかもしれない。
(山本麻衣子)