
関学柄のネクタイを締めて取材に応じる横山英幸大阪市長
弊部は6月4日、大阪市役所本庁舎で関学大OBの横山英幸・大阪市長(経済学部卒)に現在開催されている大阪・関西万博の話題を中心にお話を伺った。
目次
大阪市長としての大阪・関西万博への思い
1970年大阪万博では携帯電話などが広まるきっかけとなったが今回の万博ではどのようなきっかけになってほしいか。
55年ぶりの大阪開催となる大阪・関西万博の意義
万博後の展望は
万博後の大阪を支える世代である我々若い世代に求めるものはなにか
大学時代
関学大に入学するきっかけ
関学生に万博にどう携わってほしいか。
関学生へのメッセージ
大阪市長としての大阪・関西万博への思い―
――万博のテーマ
4月 13日から大阪の夢洲で万博が開催されています。万博には大きな理念がありまして、「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマを掲げています。「いのち」というのはいろんな命があって、例えば、人間の命、多様な生物の命や地球の命。 いろんな「いのち」に向き合ってもらう。そしてそれを最新のテクノロジーと一緒に未来を感じてもらうというのが万博です。いろんな未来社会を感じてもらう取り組みを会場内で行っています。
――デジタル社会の中、今万博をする意味
多くの人に会場にお越しいただいて、 未来を感じていただき、それに加えて、もっとシンプルに世界が広いっていうことを感じていただきたいと思っています。 SNS、インターネットで何でも見られる社会、何でもリサーチできる社会です。一方でだからこそ、その時しか感じられない貴重な瞬間、いわゆる「トキ」をいかに高質なものとして消費していくかというのがこれからの時代、 SNSやインターネットの時代だからこそ非常に重要になってくると思います。
――万博で世界の国々と繋がれる意味
万博には世界中の国が集まっています。世界中の言語や、世界中の食べ物、世界中の人々がそこにいて、 自分たちの魅力を発信している。ただ、各国レベルで見るとやっぱりいろんな政治状況や経済状況があり、課題はたくさんあります。だけど、この万博会場の中で、みんなで世界は1つになろうというのを提示しながら、各国のみんなが頑張ってくれている。これをぜひ感じていただきたい。先ほど申し上げた未来社会や技術っていうのもそうなのですが、世界が無限の可能性にあってここでしか体験できないことがある。これをぜひ万博会場で感じていただきたいというのが大きな思いですね。
1970年大阪万博では携帯電話などが広まるきっかけとなったが今回の万博ではどのようなきっかけになってほしいか。
――1970年万博での発信
1970年の万博では、有線ではない携帯電話、いわゆるワイヤレスホンが展示されたわけです。 55年経って、それが今我々の生活のインフラになっています。 その時展示したものが、数十年後の当たり前になっているという夢が現実になった素晴らしい例だと思います。その他にも、例えば回るお寿司とか、動く歩道とか、そういうのもどんどん発信されたきっかけになっていますね。数十年後は当たり前になる未来の技術が広がるきっかけになればと思います。
――今回の万博の中で注目の展示は
例えば、大阪ヘルスケアパリンビリオンではiPS細胞を展示しています。iPS細胞は汎用性が高い細胞でして人間の臓器を作ることができます。 腎臓や肝臓というのは、もう既に出来ていますし、大脳オルガロイドも完成の一歩手前のような段階ですけど、そこまでiPS細胞でできています。今申請中でまもなく社会実装されていくのが心筋シートです。心臓の大部分の細胞は心筋細胞でできています。この心筋細胞が衰えていくことで、心不全というのが起きて、残念ながら、大事な人が命を落としてしまう、そういう病気は世界中であります。 この心筋細胞の機能向上のために、心筋シートというのを作ります。心筋シートを心臓に貼るだけでしばらくすると、それが心筋細胞になっていって、心臓機能が強化されます。心不全というは、体の中に爆弾というか、いつ心臓が止まるかわからないという恐怖を抱えながら、みんな生活しています。それが心筋シートを貼ることで、心臓機能が強化された時のストレスからの解放、それはもう計り知れないものとなります。これはもうすぐ社会実装されます。

――大阪ヘルスケアパビリオン以外での注目の展示
パソナ館では動く心臓も展示しています。もしかしたらいつか自分の細胞から作り出した自分の心臓をもう1つ持てるかもしれない。眼球や網膜はもうやっていますから。大脳や腎臓、肝臓というものが作れると、もう辛い別れがなくなる、そんな時代も来ているかもしれません。
――「いのち」以外での注目の展示
自動運転バスもやっていまして、実は道路上に、 給電設備を敷設することで走行しながら充電できるわけですよね。すると、24時間 365日運転手さんがいなくてもバスが回り続けるという社会も、 実現可能になってきます。この技術も万博会場で今走っています。このような最新の技術が展示されていますのでぜひ夢を感じていただきたいと思います。
55年ぶりの大阪開催となる大阪・関西万博の意義
――1970年万博世代が感じた世界
70年の万博は、皆さんは生まれてないですし、皆さんの親世代も多分ほとんど行かれてないかなと思うのですけど、私の親世代は何度も会場に行って、それが例えば、人生の転換点であったり、進むべき道を見出すきっかけになった方が多い。万博というのは、 世界中のポテンシャルを見て感じてもらえることができるので、多くの人に、技術や文化、食文化なんかもね、なかなか日本にいたら食べられないものを食べ、世界が広いことと、いろんな挑戦ができるということをまず感じてほしいですね。
――今の若い世代と万博
欲を言うなら、 若い世代、特に子供たちや学生の皆さんに会場に行って感じてほしいと思います。
日本で過ごしていると、ちょっとどこか行き詰まったりしんどくなったりすることっていうのはこれから先、皆さんあります。だけど、本当に世界は広くて、大きいところで動いているっていう思いを持つだけで全く目線が変わってくると思います。
若い世代に会場に行って世界の可能性を感じてほしいと思います。
――修学旅行とかの機会で触れる万博
なかなか1回では絶対見回れないので、 何回も行っていただきたいと思います。予約しないと入れないところは、ちょっとハードルかもしれないですが、逆に予約なしで入れるパビリオンも結構ありますから、何回もいろんなところを見て回っていただきたい。見る度に新しい発見があると思います。
万博後の展望は
――Beyond EXPO2025(ビヨンドエキスポ)の資料の中で示された成長戦略、木造リングのその後などの万博後の大阪市。
万博を一過性のイベントで終わらせるつもりはもちろんなくて、大きく舵を切って、万博のその先に向けて、今議論を進めているところです。
その1つがビヨンドエキスポです。まず、ハードレガシーとソフトレガシーがあって、 ハードレガシーと言うと、例えば、木造リングをどうするか、会場の跡地をどういうビジョンで開発していくか。こういったものが非常に重要な議論になるので、大阪府、大阪市や経済界の皆さんと議論しながら、ハードレガシーをどうしていくかというところは進めていきたいと思います。大阪のベイエリアが非常に変わると思います。
そしてソフトレガシーとして、万博後は万博の理念を引き継いで、大阪を国際都市として都市格を上げていきたいという思いを私はずっと訴えています。
――大阪のまちの魅力
大阪というまちは非常に魅力的な街で、経済的にも豊かですし、文化面でもかなり歴史が深い。例えば、舟運ですね。目の前(大阪市役所本庁舎前)にも川が通っていますけど、歴史上、非常に重要な舟運の文化を担ってきました。そういったことも踏まえながら、国際都市として、よりエンジンをかけていきたいなと思っています。
――東京一極集中に負けないまち作り
例えば国際金融都市。金融面というのは、ほとんど東京に集中しています。世界を見ると、この一極集中ってあまり良くなくて。例えば、アメリカはニューヨークに株式市場が集中していても、シカゴには、別の取引、先物取引や金融派生商品が集中していたり。こういう形で、金融市場も割と分かれています。金融というのは経済の血脈と言われていて、金融を広げていくことで、ほかの経済活動も活性化していきます。この国際金融都市を今目指しています。
――若い人が活躍できる大阪市
ビヨンドエキスポでも、今話をしているのが、多くの人に楽しんでもらう都市でありたいなということです。特にイメージはやっぱり若い方がウェルビーイングとして、幸せである街。若い人がこの街で暮らすと楽しいなと思える街にしていく。私は、これは、割と重要なセンターピンだと思っています。役所や政治というのは「広く満遍なく皆さんに」、これは当然なんですけど、政策の戦略的に置くセンターピンとして、若い人が幸せを感じられる街っていうのは結構重要だと思っていて。そこを追求していくと若い人たちが集まってくれて楽しんでくれて、それが回り回って、いろんな世代が生き生きしてきます。だから、若い世代が生き生きと暮らせる、例えば働き方もギチギチに9時から6時まで、残業もどんどんして、というよりも、少しゆとりを持って、リラックスして働くことで、スタートアップや新しい企業がどんどん生まれて成長を感じられる街になる。例えば、音楽が流れていたり、アートがあったり、緑があったり、そういうゆとりを感じると、この街で働きたいなと思ってくれる可能性が出てくると思います。そういった形で、例えば緑の環境、舟運、アートやナイトエンターテイメントなどの大阪の賑わいの部分を活性化させて行きたいと思います。そうすることで、良い循環をこの大阪に生み出して、将来にわたって成長する街、これを万博をきっかけに作っていきたいと思います。
――東京一局集中の問題の中、大阪の繁栄と阪神間そして関西広域連合での発展の未来
万博の機会で各国の皆さんとお話する機会があって、私もよく使っているのが、 大阪にはいろんな経済もあるし、大きい経済圏もありますけど、 15分くらい電車に乗ると、京都や奈良や神戸などの文化的にも世界的な都市と近いところでつながっている。東京と比べて、これが大阪の非常に大きな強みなんです。海に関しても、瀬戸内海に面している。すごく綺麗で穏やかな海ですから。こういった資源を生かすと。西日本、特に関西地域が連携していくということは、今後の(大阪の)将来にとっては非常に重要だと思います。私は神戸にも住んでいたことありますし、 大学もね 阪神間なので。ここを活かしていくっていうのは、非常に重要な発想だと思います。
万博後の大阪を支える世代である我々若い世代に求めるものはなにか
――若い世代のチャレンジの必要性
難しいことというよりは、チャレンジをしてほしいと思いますね。それはできたら、大阪市長の立場で言うと恐縮なんですけど、西日本での挑戦の機会をぜひ見つけて活躍いただきたいと思います。もちろん 日本どこでも大丈夫なんですけど、とにかく挑戦してほしい。
――多様化する社会
これからの時代、本当に価値観が多様になっていきます。昔みたいに何か1つの価値観で、1つの企業で、という時代じゃなくなってくる中で、働き方も変わってくると思います。働き方が変わってくると、経済活動が変わってきます。どんどんニーズも変わってくる中で、常に新しいことにチャレンジして挑戦すること。失敗するかもしれませんが、もし万が一、失敗した時のセーフティーネットを作るのは役所や行政などの公の仕事だと思います。皆さんにお願いしたいのは挑戦して、新しい道を切り開いていくこと。新しい発想で、社会に変化をもたらしてもらうこと。
――イノベーションを起こす大切さ
イノベーションというのが、もう日本はずっと遅れていて。かつて日本の携帯電話って非常に優れていましたけど、ガラパゴス化したがゆえに、世界のマーケットを失いました。今の携帯は、発想の転換で、すべてを1つに納める形となった。iPhone なんか説明書ってないじゃないですか。昔の携帯って、機種を買ったら、辞書みたいな説明書がついていたんですよ。iPhoneが発売されて、一番衝撃だったのは説明書がなかったこと。どうやって(操作方法などが)わかるんだ、それはネットで調べてくれって非常にシンプル。でも、こういう発想の転換で、世界が変わります。それができるのは、もう私たちの世代はちょっと凝り固まってきているので、皆さんの世代だと思う。新しい可能性は無限ですから。この社会にイノベーションをもたらすこと、できれば、それを皆さんにぜひ考えてほしいなと思います。
――西日本の発展のためには若者はどうするべきか
「ここじゃないとできない」、「この人じゃないとできない」というのをどんどん生み出していくことがひいては、地域活性化や西日本活性化につながっていくと思う。東京との差別化ってよく言われるが、東京の二番煎じになるつもりはなくて、東京ではできないことをやった方が世界に近づけるのかなと思う。大阪は、例えばバルセロナ、グレーター・マンチェスター、シカゴ、メルボルンなどの世界の都市とも繋がっているので、せっかく万博もありましたから、関係性を深め、「大阪じゃないとできない」、「西日本じゃないと成長できない」というところを、私も引き続き追求して行きたいと思います。
大学時代
――E.S.S.に没頭した大学時代
大学時代を本当に大切にしてほしくて。振り返ると、やっぱり友人ですね。特にクラブのメンバーなんかは、多分一生のお付き合いになるのかなと思います。
友人関係や授業もそうですけど、私、割と ESSの活動にも没頭しまして。ESSの中でも、スピーチ、ディスカッション、シンポジウム、ディベートと分かれて、私は英語で日本政府が取るべき政策を2時間議論するっていうディスカッションを選んだんです。その2時間の間で、いかに論理的に日本政府がとるべき政策を結論付けるかというのがディスカッションのテーマで。これにはまりましてね。ディベートと違って、好きに喋れるもんですから、喋れなかったら2時間黙っちゃうんです。でもしゃべろうと思ったら、もう独壇場にもできるんですけど、独壇場にすると、今度はあんまり相手にされなくなっていくっていう。ちょっと政治的で、面白い側面があって、これは今に非常に活かされています。
――今に活きるESSでの活動
万博なんで、英語の機会が多いっていうのはもちろんなんですけど、こういうこと(市長)をやっていると、やっぱり、「こういう場所で、はいどうぞしゃべってください」という機会が結構多くて。その時に自然とみんなと喋るっていうのを、その4年間で徹底してやったので。これは面白かったですね。政治を目指して行く上で非常にプラスになりました。
――大学でいろいろ活動する意義
今皆さんがやっていることも、結構ハードだと思うんです。でもそれは間違いなく生涯の友人を得るだけでなく、この先の社会活動にとっても、絶対プラスになると思う。しんどい活動をやればやるほどプラスになるんじゃないかって結構思っているので。根性論なところもあるかもしれないけど、必ず皆さんの活動はプラスになります。
――公務員試験勉強に勤しんだ大学後半
3回生後半から 4回生ぐらいになってきたら、今度は就職活動のシーズンだったんですけど、実は1社も受けてなくて。公務員試験しか受けてないんですよ。行政の試験に結構没頭したので、後半からは割と勉強のイメージしかないですね。学校の図書館とかで勉強していました。行政の試験も経済学や英語とかがあったので、学校での勉強が非常に活きました。大学卒業後は大阪府庁に入りましたけど、(大学時代は)非常に自分の中では楽しく受験勉強もできましたし、クラブ活動もできました。振り返ると皆さんが過ごしている時間は非常に貴重で宝になると自分の経験から確信しています。
関学大に入学するきっかけ
――父の関学生活に憧れて
きっかけは正直、父親が関学出身なんです。うちの父親も同じESSに入ってディスカッションをしていました。その思い出を小学校のときからずっと何度も繰り返し言うわけですよ。うちの父親は香川県出身で、本当にファッションに興味とかないから最初は下駄で行ったらしいんですよ、とても笑われたらしいんですけど。とにかく関学のキャンパスが美しく、楽しかったって言うのを聞いて憧れましてね。(入学してみると)やっぱり綺麗で、本当にみんな前向きで楽しかったですね。
――美しいキャンパスで過ごして
あの美しいキャンパスを堪能してください。甲東園から歩いていくと、なんて言うか天国にあがっていく階段みたいな坂の後に、きれいなキャンパスがあって。本当にすばらしい時間ですよ。親父はもう死にましたけど、一緒の思い出を共有できたことが嬉しかったです。ちなみに妻も関学です。
関学生に万博にどう携わってほしいか。
――すでに活躍する関学生
(貴学には)今すでにいくつかのイベントもしてもらっていますし、会場でも応援団とかチアのドルフィンズの皆さんがパフォーマンスをやってくれていたことを、本当に感謝しています。ぜひ万博の会場内外で連携した取り組みができたらなと思いました。
――関学生に万博に訪れてみてほしい
会場にぜひお越しいただけたらと思います。ちょっと入場料はかかるんですけど、やっぱり何十年に一度という機会なので。ぜひ日本で、近くで行われる万博に来て、そして未来を感じて、それをイノベーションの実現、社会実装、につないでいってほしい。大きく期待するところはそこですね。
関学生へのメッセージ
みなさんがやっている学生生活というのは大変貴重です。偉そうに言って恐縮なんですけど授業にしっかり出て、徹底して学べることを学んでいくこと。そして友人ですね。大学時代の友人は生涯の友になると思います。友人を作って大切にすること。そして、クラブ活動か何かに没頭すること。とにかく今しかできないことを徹底してやり尽くしてほしい。そこで得られたものは、もちろん将来プラスになるし、その思い出は、本当にいつ振り返っても楽しい思い出になるので。あの美しいキャンパスで、素晴らしい大学生活を楽しんでほしいと思います。
(田爪翔・越智優介)
横山英幸(よこやま ひでゆき)さん
大阪府・大阪市長。1981年5月13日、香川県詫間町(現在の三豊市)生まれ。2004年3月、関西学院大学経済学部を卒業。同年4月から大阪府庁に入庁し、大阪府議会事務局、池田土木事務所、都市整備部総務課に勤務。11年、大阪府議会議員選挙に出馬し初当選。20年に大阪維新の会幹事長に就任。23年に大阪市長就任。24年に日本維新の会副代表に就任。大阪維新の会代表代行に就任。