阪神淡路大震災30年プロジェクト ~阪神地区と関学で追う変化の30年~

1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とする「阪神・淡路大震災」が発生した。神戸市や芦屋市、関西学院が所在する西宮市でも震度7をを記録し、甚大な被害を引き起こした。死者数は6,435名、行方不明者3名、負傷者43,792名にものぼった。関西学院でも在学生15名、理事1名、現・元教員7名の命が奪われた。OB・OGでも多くの人命が奪われた。

住宅は64万棟が被害を受け、被害総額は国土庁(現:国土交通省)の推定では9兆6千億円にもなった。

阪神淡路大震災から30年・・・

神戸の繁華街三宮には神戸阪急ビル東館が仮設から2021年に高層化と共に創建時の姿を再び現し、JR三ノ宮駅では新駅ビルの建設が始まり新長田の復興市街地再開発事業で計画された最後の1棟が2024年10月に完成。復興は最終章を迎えている。

神戸から大阪の阪神間、西宮市そして関西学院はどう変化したのか。

新聞総部が歴史と今を追う。

西宮-Nishinomiya

西宮市写真=新聞総部所蔵
山陽新幹線=1995年1月17日、西宮市提供
山陽新幹線高架橋=2024年12月24日、阪急門戸厄神-甲東園間、田爪翔撮影
山陽新幹線=1995年1月21日、西宮市提供
山陽新幹線高架橋=2024年12月24日、阪急門戸厄神-甲東園間、田爪翔撮影

阪急今津線は門戸厄神駅-甲東園駅間にある山陽新幹線の高架橋の橋脚と門戸陸橋が崩れ落ち不通になった。今津線の運転再開は1月23日に西宮北口-門戸厄神駅間、1月30に阪急宝塚-仁川間、2月5日に門戸厄神-仁川間が復旧し全線開通となった。

ニューコートー=1995年1月17日、阪急甲東園駅周辺、西宮市提供
阪急甲東園駅付近=2024年12月24日、阪急甲東園駅付近、田爪翔撮影

阪急甲東園駅周辺も甚大な被害を受けた。甲東園駅西側のショッピングセンターニューコートーが入る建物は一階が潰れる被害を受けた。現在はパセオ甲東園という複合施設となっている。

 甲東園駅は現在と駅の構造が異なっており当時は地下に改札があった。現在の駅舎は1998年の橋上駅化から使われている。

西宮北口駅から=1995年、西宮市提供
西宮北口駅からアクタ西宮方面=2024年12月24日、阪急西宮北口駅、田爪翔撮影
阪急電鉄北口商店街入口踏切=1995年1月17日、西宮市提供
踏切付近=2025年1月4日、踏切、田爪翔撮影
北口本通り商店街=1995年2月3日、西宮市提供
再開発後に誕生したアクタ西宮=2025年1月4日、西宮市北口町、田爪翔撮影

北口市場や北口本通り商店街があった商業地は阪神・淡路大震災により壊滅的な被害を受けた。市場は「ポンテリカ」の名で阪急電車の敷地内に仮店舗を建設した。

その後、2001年4月、商業ビル「アクタ西宮」が開業しテナントの変遷がありながら今に至る。

阪急線北=1995年1月18日、西宮市提供
西宮北口-夙川間、2025年1月5日、田爪翔撮影
阪急電鉄の高架落下場所=1995年1月19日、西宮市提供
西宮北口-夙川間=2025年1月5日、田爪翔撮影
阪急神戸線の高架落下場所=1995年1月17日、西宮市提供
西宮北口-夙川間=2025年1月5日、田爪翔撮影

阪急電車の西宮北口駅-夙川駅間の西宮高架橋は震災で倒壊する箇所が発生した。阪急電鉄は補修工事ではなく倒壊した高架橋を撤去、新たに鉄筋コンクリート造の高架橋を建設するという大規模な工事を行った。

1995年6月12日、西宮北口駅-夙川駅間の運転再開とともに神戸線が146日ぶりに全線開通した。

西宮中央商店街の被災状況=1995年2月1日、西宮市提供
西宮中央商店街=2025年1月3日、阪神西宮駅付近、田爪翔撮影

西宮中央商店街は阪神西宮駅付近に所在する商店街だ。震災以前は画像の通りアーケードがあったが現在は撤去されている。

卸売市場=1995年1月20日、西宮市提供
JR西宮駅周辺=2025年1月3日、田爪翔撮影
甲子園口商店街の被災状況=1995年1月18日、西宮市提供
収集中
仁川百合野町地すべり現場=1995年、西宮市提供
地すべり対策工事後の斜面=2025年1月11日、仁川百合野地区、田爪翔撮影

仁川百合野地区では大規模な地すべりが発生した。地域住民34名の尊い命が失われた。現在、百合野地区では地すべり被害を継承するために地すべり資料館が建設され、工事後の斜面に花などの植栽をおこなうボランティア団体のゆりの会が震災の記憶を語り継いでいる。

▽仁川百合野地区の詳細は下のボタンから記事に飛べます。

阪神高速道路の30年の変化については現在収集中です。(2月に完了予定)

関西学院大学-Kwansei Gakuin University

西宮上ケ原キャンパス=関西学院大学新聞総部所蔵写真
出火した理学部研究室=関西学院広報室提供
J号館=2025年1月10日、田爪翔撮影

関学大旧理学部は市道南側にあった理学部棟に所在していた。震災当時、理学部研究室で出火した。壁面の剥落や亀裂、屋根瓦の脱落、窓ガラスの破砕、建物内部では実験機器や書架、書類棚の崩壊なども相次いだ。現在は建物は取り壊され、J号館として新築された。関学大旧理学部は震災と同年の1995年に神戸三田キャンパスに移転後、2002年に理工学部に拡充、改名され、2021年には理工学部が4学部に分かれ現理学部が誕生した。

門戸厄神駅から歩く受験生たち=関西学院広報室提供
阪急門戸厄神駅=2025年1月15日、田爪翔撮影
門戸厄神駅から歩く受験生たち=関西学院広報室提供
門戸西町6=2025年1月15日、田爪翔撮影

阪急今津線は門戸厄神駅-甲東園駅間にある山陽新幹線の高架橋の橋脚が崩れ落ち不通になった。

1995年当時の関学大の入試は2月1日から8日にわたって行われた。

関学大受験生たちは2月4日までは西宮北口-門戸厄神間だけ再開した今津線を使い、門戸厄神駅から西宮上ケ原キャンパスに向かった。

甲東園駅から歩く受験生=1995年、関西学院広報室提供
甲東園駅周辺=2025年1月15日、田爪翔撮影
甲東園駅から歩く受験生=1995年、関西学院広報室提供
甲東園駅周辺=2025年1月15日、田爪翔撮影

2月5日からは今津線が全線開通したため甲東園駅から関学大へ向かった。

また、出願できなかったり、受験できなかったりした受験生に対して3月に救済の特別入試も実施した。こうして、震災直後の一大課題は完璧とは言えないまでも、受験生に対する不利を最大限に抑えて実施された。

神戸-Kobe

神戸市=新聞総部所蔵
阪急会館=1月25日、神戸市提供
神戸三宮阪急ビル=20225年1月5日、田爪翔撮影

三宮の象徴ともいえた阪急電車の三宮駅(現:神戸三宮駅)。震災では建物が壊れる被害をうけた。阪急会館の解体後、仮設の建物で長年の営業を行っていた。2021年に現在の阪急神戸三宮駅が入る神戸三宮阪急が阪急会館の円形アーチの意匠を受け継いだデザインで高層化とともに完成した。

ダイエーさんのみやリビング館=1月18日、神戸市提供
収集中

神戸の象徴的な大企業「ダイエー」は拠点の神戸の甚大な被害により神戸の7店舗のうち4店舗が全壊、系列店も多数が被災した。ダイエーはこの震災で海路、空路なども使いながら生活必需品などを被災地に届け被災者に希望を与えた。しかし、この震災はダイエーの崩壊の足音を早めることに結果としてなることとなった。2004年には産業再生機構の支援を受け、2008年にはイオンの持分法適用関連会社となり、2014年にはイオンの完全子会社となった。

三宮センター街=1995年1月18日、神戸市提供
神戸三宮センター街=2025年1月5日、田爪翔撮影

神戸の代表的な観光地であり地元民にも愛される神戸三宮センター街も被災した。

JR六甲道駅=1月、神戸市提供
収集中

JR六甲道駅は1階の駅舎が完全に押しつぶされる甚大な被害となった。


関西学院大学新聞総部-Kwansei Gakuin University Press

震災後最初に発行された関西学院大学新聞第700号

紙面は関西学院大学新聞総部所蔵

関学新聞第700号の紙面は阪神淡路大震災と同年に開設した神戸三田キャンパスの概要が1面を飾っている。

4面5面では現在のヒューマンサービス支援室の前身となったヒューマンサービスセンターの概要やサーッカー部など部活動による支援の輪の広がりを取り上げている。(ヒューマンサービス支援室の歴史についての記事を後日追加予定)

阪神淡路大震災30周年行事取材一覧 順次リンク更新

〈地域〉阪神淡路大震災30年の集い【1/11開催】(田爪翔)(1月下旬更新予定)

〈関学〉全国被災地交流集会「円卓カフェ」【1/11開催】(田爪翔)(1月下旬更新予定)

〈関学〉阪神・淡路大震災30周年記念礼拝【1/12開催】(宝本拓夢)(1月下旬更新予定)

〈関学〉復興減災フォーラム【1/12開催】(田爪翔)(1月下旬更新予定)

〈関学〉阪神淡路大震災記念礼拝【1/17開催】(松浦颯太郎)(2月上旬更新予定)

〈地域〉にしのみや防災フォーラム【1/18開催】(田爪翔)(2月上旬更新予定)

〈歴史〉関西学院大学と阪神淡路大震災 計画中(1月下旬更新予定)

〈歴史〉阪神から繋ぐ学生による支援の輪 ヒューマンサービス支援室の歴史 計画中(1月下旬更新予定)


新聞総部総部長メッセージ(1月17日掲載)

総部長 久保田創士

平素より関西学院大学新聞をご愛読いただき、誠にありがとうございます。皆さまの温かいご支援と変わらぬご愛顧に心より感謝申し上げます。
この度、1995年に発生した阪神淡路大震災から30年の節目を迎えました。この災害で多くの尊い命が失われました。我々新聞総部は、現在当たり前に送ることができている学生生活に感謝し、震災の記憶を風化させないためにも文字の力で少しでも当時の記憶などを伝えていきます。そして30年前と現在の西宮の懸け橋となるような新聞をこれからも届けていきたいです。


企画立案者メッセージ(1月17日掲載)

企画立案者:広報部長 田爪翔

 この企画を始めるにあたって協力してくださった皆様に心よりお礼申し上げます。

 阪神淡路大震災は1995年に発生し、本日で30年を迎えました。新聞総部員、同世代の学生に阪神淡路大震災を直接体験した人は一人もいません。だからこそ私はこの30年の節目に振り返り、学び、伝える必要性を感じました。それがこの企画を立ち上げに至った経緯です。私が阪神淡路大震災の一連の取材の中で聞かれたのが「伝える人が少なくなってきている」という言葉でした。震災の記憶が風化するということは未来の災害に備える力が弱くなることと私は考えています。直接その言葉を聞いてさらに私を含む若者が「伝える」ことをしなければいけないと実感しました。

 私事とはなりますが私の出身地は石川県です。能登半島地震を直接石川県で被災しました。あの地震がくるまで私にとって大地震というのはどこか他人事のように感じていました。なぜなら石川県は地震が少ないや安全な場所とどこか心で思っていたからです。ですがそれはまったく違いました。

 最後に私が伝えたいことは日本はどこも「未災地」であるということです。過去の震災の対応でよかったところ、ダメだったところを教わり、伝え、学び、対策する。それが私たち若者の使命なのではないでしょうか。阪神淡路大震災の経験を、能登半島地震の経験を、その他多くの地震の経験を私を含め「伝える」ことで繋いでいきたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。


関西学院大学新聞総部企画

企画立案・新聞総部広報部長 田爪翔

画像提供一覧(順不同)

関西学院大学広報室

西宮市

神戸市

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