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(扉の一言)志を立てて、以て万事の源となす 吉田松陰

 春の風はどこか落ち着かない。真新しい学生証を手にした新入生たちが、スマートフォンのマップを片手にキャンパスを行き交う。期待と不安が入り混じったまなざしは、毎年変わらない春の風景だ。

 幕末の思想家、吉田松陰は「志を立てて、以て万事の源となす」と記した。志を立てよ。それがすべての源になる、と。簡潔だが、重い言葉である。

 大学に入ると「何を学ぶか」は決まっているようで、実は自分次第でもある。講義は用意されているが、問いは用意されていない。部活動も留学も研究も、扉は開いている。しかし、どの扉を叩くのかは、自分の内側にある羅針盤に委ねられている。

 その羅針盤こそ、志ではないか。

 もっとも、大学生活の具体像がまだ浮かび上がっていない新入生に、確固たる志を求めるのは酷かもしれない。将来像など霧の中、という人も多いだろう。

 だが松陰の言う志は、壮大な夢である必要はない。「こんな自分でありたい」という小さな願いでいい。誠実でありたい。逃げずに向き合える人でありたい。誰かの役に立ちたい——。その種を胸に蒔くことが、源を持つということだ。

 大学生活は自由だ。自由は、甘くもあり、厳しくもある。何もしなくても時間は過ぎるし、何かを始めればいくらでも広がる。自由の海で溺れないために、自分なりの「北」を持っていたい。

 うまくいかない日もあるだろう。挑戦が空振りに終わることもある。それでも志があれば、立ち返る場所がある。「自分は何を大切にしたいのか」という問いが、足元を照らす。

 春は芽吹きの季節だ。志もまた、最初は小さな芽にすぎない。水をやり、光に当て、ときに風に揺られながら、やがて幹となる。

 新入生の皆さん。四年後、どんな自分に出会いたいか。その問いを胸に、まずは一歩を踏み出してほしい。志という名の種は、今日この瞬間から、静かに根を張り始めている。

(田爪翔)

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